竹生島ホーム > 宝厳寺
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竹生島は神仏が一体化した思想の中で発展してきました。 当時は、「弁天堂」「観音堂」「都久夫須麻神社」などの塔頭を総称して宝厳寺といわれてきましたが、明治時代の神仏分離令により、現在の「宝厳寺」「都久夫須麻神社」に分かれました。
宝厳寺の本尊は弁才天で、江ノ島、厳島とともに三弁才天と呼ばれています。この弁才天は8世紀前半に行基が聖武天皇の勅命で彫刻し、堂宇を建立したといわれています。
弁天堂へ続く石段本尊が安置される弁天堂は、165段の石段を登った所にあり、建物は藤原時代の様式を踏襲しています。 (現在の弁天堂は昭和17年に再建されたものです。)
弁財天堂内竹生島の弁才天は楽器の琵琶をもっており、湖上の道を守る神として信仰されてきました。 現在では、楽器を持っていることから芸能の神として参拝される方も増えています。
弁天堂を出ると、左側の小高い所に宝物殿があり、宗教上の宝物を見ることができます。
弁才天を弁財天と書くことがありますが、日本では「才」が「財」の音に通じることから財宝神としての性格が付与され、「弁財天」と表記する場合も多くなっています。
国宝 唐門石段を下りると、宝厳寺観音堂入り口「唐門」(国宝)が目に入ります。
この唐門は京都東山の阿弥陀ヶ峰に営まれていた豊国廟の正門(極楽門)だったといわれており、桃山様式を今に伝えています。
唐門を入り観音堂内部にはいると、天井絵にも建造当時の豪華さを感じることができます。
宝厳寺観音堂は、西国33所観音霊場の30番目の札所で多くの人が訪れます。
この観音堂、唐門ともに豊臣秀頼の名を受け普請奉行の片桐且元が1603年に移築したものと伝わります。
片桐且元は近江国浅井郡須賀谷(現長浜市須賀谷町)の出身の武将で、羽柴(豊臣)秀吉の家臣として賤ヶ岳合戦で活躍し「賤ヶ岳七本槍」の一人に数えられました。
重要文化財 舟廊下観音堂を進んでいくと舟廊下(重要文化財)といわれる渡廊が都久夫須麻神社まで続きます。
舟廊下は豊臣秀吉の御座船日本丸を利用して作られたといわれています。