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開館日時/3月24日〜11月30日(無休)
開館時間/9:30〜17:00
入場料/大人200円、小中学生100円 |

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明治19年(1886年)秋、明治天皇が京都行幸の帰路に、船を利用し長浜に上陸される、との報が入りました。
浅見又蔵氏は早速私財を投じ、陛下の誕生日である11月3日に行在所建設を着工しました。
行幸は翌年2月21日ですから、3ヶ月余りの突貫工事。行幸当日の朝に完成する慌ただしさだったと伝えられています。
慶雲館の敷地は6千余平米。建物は尾州産の総檜造り寄棟造2階建で約500平米。建設費は当時破格の1万円でした。玉座が設けられた2階からは、琵琶湖と伊吹山が一望でき、当時の新聞に「美麗壮観同地に冠たるものなり」とあります。命名は、当時の総理大臣・伊藤博文です。
慶雲館は浅見氏の別邸としてだけでなく、その後も長浜の迎賓館として使われていましたが、昭和10年(1935年)の国史跡指定に伴い、翌年長浜市に寄付されました。以後、市の施設として、盆梅展や会議場所等として使われてきました。また、この場所は江戸時代後期の絵図に大通寺(真宗大谷派長浜別院)別殿と記され、住職の別荘であったことが確認されています。 |
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@慶雲館表門 |
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A横綱像
角聖と尊称される明治の大横綱常陸山。
名前の通り常陸国(茨城県)の出身ですが、浅見又蔵翁が谷町として贔屓にしていました。
慶雲館にはライバルの横綱梅ヶ谷とともに何度も訪れ、その写真も残っています。 |
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B大灯籠
正門をくぐるとすぐ右側に、自然石の巨大な灯籠が目に入ります。
高さ約5メートル、推定重量は20トン。慶雲館には幾多の巨石がありますが、ほとんど滋賀郡志賀町から琵琶湖上を船で運ばれたと伝えられています。 |
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C慶雲館碑
浅見又蔵翁が亡くなった翌年の明治三34年(1909年)の姉川大地震で倒壊。
明治45年(1912年)に、慶雲館建設25周年を記念して再建されました。 |
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D長浜領朱印地石柱
豊臣秀吉公による朱印地区域を示すもの。
慶雲館には2本ありますが、いずれも明治期以降に移設されました。 |
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E茶室
本館とともに明治20年(1887年)に建設され、恵露庵と名付けられています。
元は典型的な四畳半茶室でしたが、平成12年に10畳余の広間に改修されました。 |
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F梅型の電灯
本館2階の照明器具は梅の花を形どっています。
明治とは思えないハイカラなデザインです。 |
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G庭園
庭園は2代目又蔵により、慶雲館建設25周年を記念して明治45年(1912年)に造営されました。
庭園は表門から中門に至る前庭、中門から本館玄関前に広がる格調高い玄関前庭、そして本館の南に広がる本庭(奥庭)で構成されています。本庭の特徴としては第一に、中央に深い涸池を穿つなど地形に大きな起伏をつけた立体的な構成が挙げられます。
2つ目は、前庭や玄関周辺と同様に巨石を用い、見る人を圧倒する豪壮な意匠です。さらに、滋賀県ならではの特徴として琵琶湖の眺望があげられます。
作庭は京都の7代目小川治兵衛(屋号植治)。
近代日本庭園の先覚者と呼ばれ、平安神宮神苑をはじめ多くの造園を手掛けています。庭園完成時には、治兵衛の長男保太郎(白楊)の手による写真集が発行されており、白楊が築庭にかかわったことが窺い知れます。 |
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*浅見又蔵(1839年〜1900年)
又蔵翁は長浜市内で薬種商の3男として生まれ、22歳の時に浅見家の養子となりました。
浅見家は長浜の地場産業である浜縮緬製造業を営んでいましたが、翁は長浜を代表する豪商に育てあげました。
翁は滋賀県第1小学校や銀行設立、鉄道敷設など地域の発展に尽くし、長浜近代化の父とも言える偉大な先人です。
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◇長浜盆梅展◇ |
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2007年1月10日(水)〜3月11日(日)
9:00〜17:00
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会 場/長浜市慶雲館
入場料/大人500円、小中学生200円、小学生未満無料(20人以上2割引) |
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◇梅の館◇ |
| 慶雲館の新館としてオープンした「梅の館」は、盆梅のパネル展示などによって1年を通して盆梅展の魅力にふれることができる。 |
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